トランスジェンダーを描いた映画『ナチュラルウーマン』。
いまやLGBTを題材にした作品は珍しくなくなり、公開前にそういった話題を聞いても食傷気味にさえ思えるほどです。もうLGBTがテーマというだけではインパクトはないし、当たり前なこの状況は喜ばしいものかもしれません。
さてこの作品は、トランスジェンダーの苦悩を描いたというテーマ性を抜きには語れないのですが、その描き方のセンスや上手さが抜群にいい作品でした(すごく好み!)。
近年のアカデミー外国語映画賞
『ナチュラルウーマン』はチリの映画で、今年のアカデミー外国語映画賞を受賞してるんですよね。
アカデミー賞の中では外国語映画賞はほぼ脇役でたいして印象に残らないイメージですが、過去の受賞作をあらためて確認してみると、これがまた凄い作品ばかり(まあ、当たり前ですが…)。
- 2017年『セールスマン』アスガー・ファルハディ(イラン)
- 2016年『サウルの息子』ネメシュ・ガースロー(ハンガリー)
- 2015年『イーダ』パヴェウ・パブリコフスキ(ポーランド)
- 2014年『グレート・ビューティー/追憶のローマ』パオロ・ソレンティーノ(イタリア)
- 2013年『愛、アムール』ミヒャエル・ハネケ(オーストリア)
- 2012年『別離』アスガー・ファルハディ(イラン)
とまあ、素晴らしい作品ばかり。
作品の質からするともっと注目されてもよいのでは?と思うのですが、かくいう僕も、今年のアカデミー賞は「シェイプ・オブ・ウォーター」と「スリー・ビルボード」の対決ばかりに注目してしまってて、この映画の存在を忘れかけてました…。
おネエパンチが印象的!
ここのところ「シェイプ・オブ・ウォーター」だ!「ブラックパンサー」だ!とシネコンの派手めな映画にうつつをぬかしていたので、ミニシアターのレイトショーで『ナチュラルウーマン』を観はじめた瞬間、心地よいというか“やっぱこういう自然な映画っていいよな〜”とあらためて実感。
こういう感覚はハリウッド大作ではなかなか味わえません。
トランスジェンダーについての作品ですが、チラシのコピーを引用すると…
自分らしく生きたいと願うすべての人に贈る人生賛歌!世界が注目するニューカマー、ダニエル・ヴェガの熱演が観るものの心をとらえて離さない。
このコピー通り、実際にトランスジェンダーであるダニエル・ヴェガが演じる主人公マリーナが魅力的なのは言うまでもありませんが、監督(セバスティアン・レリオ)の手腕もまた見事なんです。
例えば、主人公マリーナは、嫌なことがあると(エアーで)パンチを繰り出します。部屋の中でだったり、ゲームコーナーのパンチングマシーン相手だったり…。それが、マリーナは体は男性なので腕っ節は強そうなのですが、腰が入ってない“おネエ”パンチなんですね。それがかわいい。この監督はちょいちょいそのパンチシーンを入れてくる。それが上手いなあと感じるのです。
観客が、“ここでパンチするやろな”と思って観ていると、期待どおりパンチを入れるのですが、そのカットを長回しにしていて、そのパンチを入れるタイミングをちょっと遅めにずらしてくるんですよね。期待どおりなのですが、タイミングはちょっとズラす。観客は焦らさせるけれど満足するという、地味ながら高等テクニックを入れてくる監督のようです。
ちょいちょい挟まれるメタファ的シーン
そして、要所で挟まれるメタファカットがとても印象的。
基本的には、全編を通して控えめで自然なカットの連続の作品なのですが、その中に「なんだこれは的」なひっかかりのかるシーンをちょいちょい入れてきます。
逆風に立ち向かう主人公マリーナが街を歩いていると、本当に逆風が強すぎて体が極端な前傾姿勢で止まってしまうとか!
その他にも鏡のシーンとか「これどういうこと?」と思ってしまう不思議なカットは、ちょいちょい挟まれていて、シリアスな映画なのに監督の繰り出す小技に嬉しくなってきます。
(これらは予告編でもちょこっと出てくるので覗いてみてください。)
映画の中でメタファを多用しすぎると難解な映画になってしまいがちですが、『ナチュラルウーマン』の場合はそういう使い方ではなく、この小技が嫌味な感じになってないのが、この監督の凄さじゃないでしょうか?
そうそう、劇中で流れるアレサ・フランクリンの「ナチュラルウーマン」がたまりません。(やっぱり名曲です)
これからアカデミー賞関連の作品はこれからも公開されていきますが、この外国語映画賞作品(スペイン語が心地よかった)にも注目してみてください。
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