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現在、ルーマニアのドキュメンタリー映画トトとふたりの姉が公開中です。

うーん、これはホントに凄いドキュメンタリー作品でした。なにが凄いって、どうやったらこんな映像が撮れるんだろうというくらいのドラマが詰まっている。カメラとカメラマンは透明なのか…と言いたくなるくらいなのです。

悲惨なルーマニアの貧民街

舞台はルーマニアの貧民街、男の子(10歳)トトとその二人の姉(長女・17歳と次女・14歳)の姉の生活を追いかけたドキュメンタリー。

この姉弟、父親は行方不明。母は麻薬密売で服役中。身元引受人であるはずの叔父は麻薬常習者で仲間とともに、この姉弟の家を溜まり場としている。その影響で長女は麻薬に溺れ…。もうとんでもない環境なわけです。

(この、あまりよろしくないルーマニアの状況は、ルーマニアの名監督クリスティアン・ムンジウの『エリザのために』なんかでもうかがい知れますが、これらの映画のせいで、個人的なルーマニアのイメージが作られてしまいました…。)

こんなのよく撮れたな、と思う映像ばかり

まず疑問に思うのは、姉弟の家に集まった男たちは、なぜこんな撮影を許しているのか?そこから理解できないのです。

姉弟とは信頼関係を築きながら撮影に入ったようですが、麻薬常習者の男たちにとってはカメラは邪魔な存在だったはず。しかし、男たちはカメラを気にする様子など一切なく、クスリを注射していくのです。

それだけではなく、物語の流れに合わせたかのようなシーンはもれなく撮影されているのでドキュメンタリーにありがちなストーリー性の物足りなさや、ナレーションやインタビューでの補足は皆無なのです。

それほど、スタッフと姉弟の信頼関係が良好だったのでしょうか。

スタッフは撮影しているだけなのか?
 まわりの大人の助言で次女とトトは、孤児院に入ることになります。しかし、長女は孤児院に馴染めず、自宅に残って麻薬から抜け出せない日々を送ることになります。このせいで後にえらいことになるのですが…。

この命にかかわるような長女の状況を、撮影スタッフはなんとかできなかったのか?
一度はクスリをやめると誓ったはずの長女が、注射器を手に刺しているシーンを撮影しているスタッフはどういった心情でカメラをまわしていたのか、その心情を想像せずにはいられません。

あくまでドキュメンタリーを撮影することに徹していたのか、作品にあらわれていないところでなんとかしようとしていたのか、まったくわかりません。
しかし、この映画からは、単なる取材対象としてではなくスタッフの子どもたちに対するあたたかい視線を感じることも確かなのでなおさらそう感じるのです。この映画を観る際は、そういった疑問はいったんカッコにいれて保留しておくしかないのですが、この映画が凄いシーンばかりなのは間違いありません。

 カメラを通して成長する次女

この映画を特異なものにしている要因が、次女にビデオカメラを持たせていることです。

映画序盤では、わがままさが目立っていた次女がだんだんと成長していくのは、カメラをまわしているという行為(=自分たちを見つめている)と無関係ではないように感じられます。

自分たちの生活を自撮りし、弟トトと仲良くじゃれあうシーンが目立つようになります。
そして、なにより孤児院で立ち直っていった次女が、カメラをまわしながらヤク漬けの長女のもとを訪れる対峙シーンが本当に凄い。ここまで緊張感のあるシーンはそうそうありません。

成長と希望と

ルーマニアの貧民街の現状が本当に厳しいものだということが窺えるのですが、その悲惨さばかりを強調した映画になっていないところが、この作品のいいところ。

トトがヒップホップダンスに出会って成長していく様は本当に嬉しくなりますし、なにより次女アンドレアの精神的な成長に感動するのです。

作品全体としての印象は、
衝撃的な悲惨さを強調するわけでもなく、あまりにもドラマチックな撮影カットにたよって感動物語にまとめるわけでもない、ニュートラルで冷静な視点も持ち合わせた作品だと感じました。今年ベスト級に凄い作品じゃないでしょうか。

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